第7回   ハリウッドきってのプレイボーイだった男

ハリウッドスターの中でも名実ともに第一人者の一人、ウォーレン・ベイティが好きだ。

彼の名前は昔、カタカナ表記では‘ウォーレン・ビューティ’とか、‘ウォーレン・ビーティ’とか書かれていたけれど、二十年くらい前だったか、彼自身が、 「僕のこと、今後は‘ベイティ’と呼べいてぃ」(七五調)と言ってから、大体は‘ベイティ’と表記されるようになった。

実際、アメリカ人が彼の名前を口にする時には‘ベイティ’と聞こえるのに、しかしながら、いまだに‘ビーティ’と表記しているものがあるね。
それがベイティさんにバレたら気分を悪くするだろうな・・・とは思うけれど、恐らく彼は実際にはカタカナが読めないだろうから、私も彼に密告なんかしませんよ。


“草原の輝き”(61年)の彼は若くて格好よかった。
今も格好いいおじさんだけど。
“エデンの東”、“欲望という名の電車”、“波止場”などでも有名な、監督のエリア・カザンはベイティの中にジェームズ・ディーンやマーロン・ブランドを見たかも知れない。

“俺たちに明日はない”(67年)の彼はワイルドだった。
原題は“Bonnie and Clyde(ボニー&クライド)”。
これはワイルドな(というよりも‘向こう見ずな’)男女の代名詞になっているけれど、邦題は邦題でなかなか粋なタイトルだな。
この映画でベイティは、弱冠三十歳にして製作に携わっていたというから驚きだ。
もう二十年以上も前、映画製作に自分たちのわがままを色濃く反映させていたエミリオ・エステベスやジャド・ネルソンたちは、フランク・シナトラ一家の‘ラット・パック’に引っ掛けて、‘ブラット・パック(悪ガキ集団)’と呼ばれていたけれど、ベイティはブラット・パックの走りみたいなものだったのかな。
いや、その才能において、ブラット・パックと比較するのはベイティには失礼でしょう。

自らメガホンを取った“レッズ”(81年)で彼はアカデミー監督賞を獲った。
この作品は、主演と助演それぞれの男優賞と女優賞、そして作品賞及び脚本賞(ベイティは共同脚本)を含め、主要七部門全てでノミネートされていたという、彼にとっては文句なしの代表作の一本だ。

“ディック・トレイシー”(90年)で、ベイティはアル・パチーノやダスティン・ホフマンと共演した。
D・ホフマンとは、世紀の駄作と呼ばれている“イシュタール”(87年)というコメディに続いての共演だったわけだけど、シリアスな映画でのこの三人の顔合わせを是非とも観てみたいね。

この頃までの彼はハリウッドで一番のプレイボーイとして名を馳せていて、浮き名を流した相手といえば、ジョーン・コリンズに始まり、ナタリー・ウッド、ジュリー・クリスティー、ゴールディー・ホーン、ダイアン・キートン、イザベル・アジャーニ、マドンナ等々、名前を挙げればきりがない。
本当はきりはあるけど、日本人には馴染みのない名前もあるし、ここに40人以上の名前を挙げてもあまり意味はないので割愛しときます。
それにしても、過去に恋の噂があったG・ホーンやD・キートンと後年、“フォルテ”(2001年)という映画で共演しているから、彼はきっと‘憎めない男’なんだろうな。

そんな彼も、“バグジー”(91年)では後に結婚することになるアネット・ベニングと出会った。
『この人、一生プレイボーイで過ごすのかな』と思わせておいて、55歳で結婚後、テレビ映りも映える四人の子宝にも恵まれた。
いい意味で裏切ってくれた彼が、他人もうらやむ幸せな人生を送っているだろうことは容易に察することができる。

“ブルワース”(98年)でカリフォルニア州選出の過激な民主党上院議員を演じた彼は・・・・・・。



四本の監督作を含め、自らの出演作中、ベイティは多くの作品でプロデュースや脚本にも参加している。
そんな多才な彼の、たくさんある作品の中で一番好きな映画が、
“天国から来たチャンピオン”(78年、原題は“HEAVEN CAN WAIT”)。

“ブルワース”では90年代のL.A.が、“バグジー”では30〜40年代のL.A.が舞台になっているが、“天国から〜”は撮影当時の70年代後半のL.A.が舞台になっている。

映画のラスト近く。
ロサンゼルスでの二度のオリンピックの開閉会式の会場にもなった、メモリアルコロシアムという競技場でのフットボールの試合が終わり、選手用ロッカールームから外へ続く通路での、ベイティ演じる、ジョーでありレオでもあるトム(映画を観ていない人には意味不明ですね)と、ジュリー・クリスティー演じるベティーのシーンは、エンドロールが流れるラストも含めてとても印象的だ。

ジャック・ウォーデン演じるマックスのことを思うと・・・かわいそうだけど。
このラストシーンは、チャップリンの不朽の名作、“街の灯”と心なしか重なるところがあるな。
実際、この映画も第51回のアカデミー賞では主演女優賞以外の主要六部門でノミネートされていたのだから、稀に見る傑作と呼んでも間違いではないでしょう(残念ながら六部門とも受賞は逃してしまったけれど)。
しかも、製作、監督、脚本を共同でベイティ自身が兼ねているというのが更に驚きだ。

NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)のNFC(ナショナル・フットボール・カンファレンス)西地区に所属するセントルイス・ラムズは、94年のシーズンまでは当時のアナハイムスタジアム(現エンゼルスタジアム・オブ・アナハイム)を本拠地にしていたロサンゼルス・ラムズだった。更に、ラムズは79年までは本拠地としてメモリアルコロシアムを使用していた。
“天国から〜”が製作された時代、ラムズはNFC西地区を73年から79年まで七年連続で制覇した強豪だった。・・・ということを予備知識として記しときます。

ボナヴェンチャーホテル ラムズのクオーターバック、ジョー・ペンドルトン(ベイティ)が大企業経営者レオ・フランズワースの‘身’となって、会議が行われるビルの屋上にヘリコプターで空からアプローチするシーンで映るのは、今でもL.A.ダウンタウンの代表的な建物としても有名なボナヴェンチャーホテル(一瞬なので見逃さないように)。

でも、なんと!周りには高いビルが殆どないではないか。あの、不死身なはずのU.S.バンクタワーも見当たらない。当然だ。

(書くのが心苦しい内容ではありますが)いくらマグニチュード8.3まで耐えられるビルディングでも、89年にライブラリータワーという名前で完成するものが78年にそこにあるわけがない。

84年のロサンゼルスオリンピックが街の開発に拍車をかけたこともあり、この街の風景は80年代に大きく変わったということがよくわかる。
90年代以降、現在に至るまでは殆ど変わっていないけれど。

ところで、ボナヴェンチャーホテルは全室禁煙ホテルになるそうなので、喫煙をする人で宿泊を予定している人は気を付けてくださいね。
ビバリーヒルズにあるビバリーヒルトンホテルも今やそんなホテルになってしまったし、この動きには益々拍車がかかるかも。

さて、ウォーレン・ベイティに関する、ビバリーヒルズのホテルの話といえば・・・。
次回(が実は本題)につづく・・・

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よだ ゆきお

大阪生まれ。“スター・ウォーズ 帝国の逆襲”が公開され、初めてそこにヨーダが登場した時には周りの悪友達に、「ヨーダ、ヨーダ」とおちょくられて、いい気分はしなかったが、今はアメリカ人から、“Yoda, Yoda”と、名前を覚えてもらいやすいが為にいい気分をしている根っからの映画大好き男。